杖を使うようになった母に、出来上がった斜め掛けバッグを郵送した。
電話をすると、たいそう喜んでくれた。
母は高級婦人服のお店でスーツを縫っていた人だった。
腕が良かったので、お店としてはジャンジャン縫ってほしいけれど、
内職程度だったので、数はこなせないが重宝がられていた。
子供の頃から洋裁をする母の姿を見てきたが、自分はあまり興味を示さなかったようだ。
母としては、一緒に何かを作ったり、女の子らしいことを一緒にしたかったようだが、
母の望みを叶えるような子供ではなかったらしい。
今になって、小物やバッグを作ってプレゼントしたりするようになり、母も驚いている。
小学校の時、縦笛の入れ物を布で作り名前を刺繍するという授業があった。
母にわからないところを聞くと、縦笛の袋は私を介さず、すぐに出来上がり名前がキレイに刺繍されていた。
中学の頃、ワンピースを作る授業があり、ここどうやるのと聞くとチェック柄のキレイなワンピースが私を介さず出来上がる。パジャマを作った時も同じ。
小学校で「童話の登場人物のぬいぐるみを作りましょう」と言う授業があった。
私のグループは「あかずきん」で、私は「狩人」を作る係となった。
ここどうやったらいいと思う?と聞くと父も母もさほど仲が良くないのに、二人とも職人なので、
職人魂に火が付き、二人がかりで作成。立派な狩人が出来上がった。
その頃の同級生で、頭もよくスポーツも出来る友達Mちゃんがいた。
他の子が言うには、「Mちゃんは、家庭科の課題は絶対家に持ち帰らず学校でやるらしいよ。すごいよね」
と言っていた。
Mちゃんは、いろいろサポートしてくれる親に感謝し、尊敬していた。
Mちゃんは短大に入り、遠かったので親元から離れて一人暮らしをしたときは、「離れてみると親のありがたさが良くわかった」としみじみ話していた。
自分も親になっているけれど、いろいろと反省しきり(^^;)
理想は、釣った魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えられる親になりたい。
教育って大事。